このWEBの片隅に
好きなことをして生きていく
やりたいことをやって楽しく生きる
・・・ってなんでしょーねー
私には皆目わかりません。おそらく幼少期からの抑圧が強くて「やりたいこと」とか「楽しいこと」がわからなくなってきているのでしょう。今もわかりません。
ちょっと楽しく感じることを続けたり、楽しいということを口に出すことで
みんなは苦しいことに耐えているのに
お前だけ楽をして
というような妙な罪悪感が襲ってきて楽しくなくなってしまう。
思い込みと言えばそれまでですが、後ろめたくなく楽しいことってなんなんだろう。
楽しいことに後ろめたさを感じない人が人生の勝者なんだろうなあとしみじみ思うのでした。
そこで、とりあえず不快に感じること、やりたくないことはやらないと言う方向にシフトしてみました。
例えば
・毎日の目覚まし時計
・通勤
・言いたくもないお世辞
・作りたくもない笑顔
・賛同したくもない意見にYES
・こちらを嫌っている人にも気にしていないように振る舞う
・空気を読む
・眠たいことを我慢する
・身だしなみという名のメイクやらコーディネイト
・・・
あら、ちょっと書くつもりがこんなにたくさん・・・というかほぼ会社生活ですね。
相当の努力はしたんですよ。まっとうなイケてる社会人になるのが夢でしたから。今思うとそれも刷り込みだった気もするけど。
でももういいかなって。
目標が高すぎた気もしますが、イケてる社会人は努力だけではどうにもならない。
配属とか異動、どのような上司や同僚にあたるかは運の力が強すぎます。
今は収入が激減していますが、またオフィスに戻りたいかと聞かれると絶対に戻りたくない!と断言できます。しかし努力したおかげで、たまになら”できる女性”のフリができます。たまになら楽しいものです。
じゃあ今やっているフリーのライターがやりたいことなのかというと?ですが、私にとって非常に都合が良い仕事だったのは確かです。
・元手が要らない
・家でできる
・時間の制約がない(締め切りさえ守れば)
こんな理由で選んでしまって申し訳ありません・・・
しかし、病気が回復してきて貯金もなくなってくると、どうにかして生活の糧を稼ぐ必要があり、しかしやりたいこともなく、やりたくないことを消していったら残ったのがWEBライターだったわけです。消去法の選択。
そもそも私は文章を書くのが大好き!ではないのです。ブログも下書きフォルダに山のように未完成稿があるし。
ただ、受験やら会社生活やらで鍛えられた作文と
わりと多かった読書量(それは、本が好きというよりも、幼少期から諸事情によりゲームなどの娯楽がなく、図書館の本をやたら読んでいたせい)のおかげで、日本語として読める文章を書けた。
小説家やら評論家にはなれませんが、WEBライターは基本的に検索してページを訪れる人にアンサーが提示できれば良いので、凝った表現やら伏線は要らないというのも幸いしました。
つまり、読書も作文もさして好きでもないけれど、そこまで苦も無くできるからWEBライターをやっているわけです。さらに、仕事以外に気を配るポイントが会社員に比べると圧倒的に少ない。
また、意識低い系なので、
・有名ライターみたいに名前でメジャーになろうとか全く考えてないし
・ライターの人たちとつるみたいとも思いません(一度考えましたが、そもそもフリーを自ら進んで指向される方たちとは価値観が相容れない模様)
こんな私は、いつかランサーズオブザイヤーに選ばれたとしても全力で断ると思います。(まあ選ばれませんが・・・もし選ばれたらそれはそれで認めてもらったのは嬉しいけれど。)
このWEBの片隅に、ひっそりと生活できていることはありがたいことです。
今後もひっそりと自分が壊れないように生きていきたいと思います。